cookohのブログ

心を整えて生きていく

ただやるのではなく、どうやるか

子どものスポーツの低年齢化が進むことは、良い面もあれば、悪い面もあると思います。

バスケットボールで考えるなら、早くからボールに触ることはボールコントロールに優れた選手になれる!という面もある一方で、良くないフォームや姿勢を身につけてしまうと、それがずっと修正することができず、いつまでも上達しない、ということにもなってしまいます。

つまり、上手になるために練習しているつもりが、下手になるための練習をしているということになってしまうのです。

良い面を前面に出すためには、「最初が肝心」です。

ただやるのではなく、どうやるか。

がむしゃらに頑張るのではなく、何を頑張るべきかを判断すること、整理することが、何事においても大切なのではないでしょうか。それを見極めるためには、誰と出会うか…という運も大切になってきますね。

 

「ここ!」を見極める

働きながら子育てをしていると、いつも子どもに寄り添う・・・ということはできない。

でも、私はそれでも良いと思う。

 

毎日同じように日々は過ぎていって、その繰り返しの中で感性が鈍化してしまうのかもしれないけれど、人生には「ここ!」という日が何回かあると思う。

 

私は子どもと関わるとき、子どもの成長にとっての「ここ!」というところを、私なりに外さないように気をつけてきた。

 

子どもが熱を出した時

どうしても仕事に行かないでと泣きまくった朝

理不尽なコーチの指導に対して、意見を言いに行く!と決めた夜

初めての受験で心のバランスを失った息子に、毎晩毎晩おんなじ話を伝え続けた日々

 

「ここ!」を外さなければ、あとのことは適当でもどうにかなる。

毎日完璧でなくてもいい。

ただ、「ここ!」という時には、120%で関わる。

 

子どもが「聞いてほしい」「そばにいてほしい」というサインを送ってきた時にだけ、その時だけは何よりも子どもを優先して、寄り添えれば・・・

 

子どもにいつでも帰れる「安全基地」がここにあることを伝えていきたい。

 

 

プリツカー賞受賞

世界的に優れた建築家に贈られ、建築のノーベル賞とも言える『プリツカー賞』を、山本理顕さんが受賞された。

テレビ番組のインタビューで話す山本さんの言葉に、とても感銘を受けた。

山本さんの生み出す建築物はとても美しい。けれど山本さんは、ただ自分の美しいと思う建物を建てているのではない。

建物を通して、コミュニティーの大切さを伝えようとしているのだ。

山本さんの建物には、一貫したメッセージが込められている。だから美しく、人の心を掴むのだと思った。

 

働くこと。大変なことだ。お金のためでもある。

私は20年以上、教育に携わっている。

私は働くことを通して、何を伝えようとしているのか?

子どもを育てるという直接的なことだけでなく、そこから社会に対して何を伝えていけるのか?

山本さんのプリツカー賞受賞は、自分の生き方を問い直すきっかけとなった。

子育ての正解

子育てに正解なんてないと思うけど、これだけは間違えちゃいけないのは、子どもは親の人生を生きているわけではないということ。

小さくても自分の人生を生きている

親ができなかったことを代わりに体現するわけでもないし、親の期待通りに生きる必要もない

あくまでも主役は子ども

親は子どもの命を守りながら、失敗を成功に繋げていく手助けをする

子どもの小さな『やりたい』を応援する

ちゃんと親と子どもの境界線を守っていきたい

疲れたら休む

爪を切ることができないとき

それは時間がないんじゃなくて

気持ちに余裕がないとき

 

気持ちに余裕があると

爪が伸びてるのに気づくし

床のホコリに気づくし

観葉植物の水やりを忘れているのにも気づく

 

今日は水やりしなきゃかな…

言われなくてもできる

1.言われてもできない

2.言われたらできる

3.言われなくてもできる

4.言われたこと以上のことを自分で考えてできる

 

人の成長には4つの段階がある

 

レベル4まで行けるのか?

行けるとしたら、それがいつなのか?

それによって、人生は大きく変わってくると思う

 

水のように生きたい

99歳で亡くなったおじいちゃんが晩年に書いた形見

水五訓

人間として本当に大切なものをちゃんと持っている人

考え方が柔軟で、良いことも悪いことも受け止め包み込むことのできる人

何もないときには必要以上に自己主張せず、注目されなくてもなんとも思わないけど、大事なときには人のために全力で働ける人

縁の下の力持ちになって、誰かを影で支え、育てられる人

時間を経て見た目や環境は変わっても、人間として大切なことは見失わない人

 

この水のように、いつかなれるだろうか